松本人志の生い立ち⑤−家族

 松本がラジオで語る、家族についての話には、親父、オカン、おねえ、兄貴、じいちゃんが登場するのだが、ラジオではそれぞれが松本にとってどういう人間だったかがわかりやすく、そして繰り返し語られている。
 端的に言えば、親父は松本にとって怖い存在、オカンはデリカシーやセンスに欠けるが人志への愛に溢れた人間、おねえは斬新な食べ物を家に運んでくるザビエル的な役割、兄貴は落語や音楽などの文化を人志に伝える役割、そしてじいちゃんは優しくて新しい物好きな、人志が大好きなじいちゃんだった。
 ラジオでは、オカンと兄貴の話が7とすれば、親父が2.5、じいちゃんとおねえで0.5といったくらいの割合で話されている。オカンと兄貴の話はよく話されているのに対し、じいちゃんとおねえの話は現在300回近くある放送の中で、2・3回といった感じである。

オカン−矛盾の体現者。

 オカンに関しては、悪口に近い話が多く、オカンが人志に注いだ愛情の話などはもちろん松本本人からは出ないのだが、高須が松本のオカンの、人志への愛の大きさについて語るときに、松本がそれを否定しないことから、オカン秋子の人志への愛は本人も認めるところなのだろう。

「平凡な暖かい家庭からは、すごい発想の人間は生まれてこない」という松本の発言から−
高「やっぱね、貧乏だけでもあかんねん。俺が思ったのは。俺も考えたんですよ」
松「うんうんうんうん」
高「やっぱね、貧乏やけども、貧乏をなんとかその、「うちは貧乏やない」と。「愛情だけはたっぷりあるでー」ぐらいの、ちょっとねあったかい家庭じゃないとあかんねん」
松「うーん」
高「これね、ほんまに冷たい家庭はあかんで」
松「まあそうやな。うーん」
高「やっぱり程よい愛情は必要やねん。貧乏で」
松「そうやな…」
高「これ、なんでや思う?自分」
松「…知らん」(119)

高「でもな、親の愛情っていうのは結構必要やったりするで。…たまたま自分はちゃんとして育ってるけど、なんか一個間違ってたらわからへん」

高「そら、自分とこのおばちゃんが、俺は見てるけども、自分のおふくろが、かなりしつこいくらいの愛情があったから…」
松「うーん」
高「そらな俺は、自分とこのおばちゃんのなんかああいうとこがないと、どっかその…、確立できてないと思うで」(009)

 オカンは人志への愛に溢れている一方で、デリカシーやセンスが無い一面もある。弁当にシーチキンの缶を入れるのもそのひとつであるし、オカンとマー君のコントでの「あんたパンツにうんこついてるで」と彼女の前で言ったのが実話だったというのもそうだろう。

松「小学校の5、6年ぐらいの時に、俺言われたのをいまだに覚えてんねん。
高「何言うたん?
松「「人志、あれ、あれやで。お父さんはな、ものすご噛むんやでぇー。」って、俺言われたことあんねん」
高「気持ち悪い。何ぬかしとんねん」
松「(笑)」
高「もー、気持ち悪い。ちょっとM入ってるんちゃうん?」
松「おぞましいやろ?」
高「もう気持ち悪い、なんでそんなこと」
松「おどろおどろしいやろ?」
高「なんで子供に言うてんの?そんなこと」
松「何でそんなこと…、ほんでね、もう意味が分からへんわけよ」
高「もう二つ一緒になって気持ち悪いわ。それ」
松・高「ははははははは」(215)

 ラジオでオカンの話をよくするのは、「愛に溢れているがデリカシーが無い」、つまり「哀しいが愛がある」という松本の笑いの方法論をオカンが体現しているために、笑いにしやすいという面もあるのかもしれない。オカン自身に愛があるのにデリカシーやセンスが足りていない、オカンに愛があるのに弁当の中身や生活水準が釣り合っていない、という点は、キッチリやデリカシーを重視したり、「何でこれができてるのにあれができへんねん」と叫ぶ、松本の考え方に何らかの影響を与えているようにも思う。

親父

 ラジオの第九回の、自分の子供が生まれたら、という話の中で松本は自分の子供に対して「会話をしない」「ほっといたらいい」「勝手にしよる」「それであかんかったらええやんか」「トラウマだらけの子供でいい」という、自分の子供への子育ての考えを示しているが、これは松本が父親に対してとられた態度と似通っている。

高「まぁ自分の親がそやったから、おっちゃんがなんとなくほら、結構そういう感じやったやろ?結構冷たい感じやったやろ?」
松「うん」
高「なあ」
松「うん」
高「だからそういうのがあるんちゃう?」
松「会話ほとんどないで」
高「そやろ?」
松「まとめたら多分60分ないと思うわ」
高「えー、マジで?」
松「マジマジ。多分ね、60分ないんちゃうかな。A面だけで終わりちゃうかな」
高「うーわ、A面だけかいな(笑)」(009)

 また、松本は九九にまつわるトラウマについて語っている。松本はトラウマという言葉をラジオで何度か出しているが、自身の明確なトラウマ体験の話は、この九九の話くらいではないかと思う。

松「その話する?九九を何故、俺が覚えてないか」
高「いや、いいよいいよ。教えてよ」
松「いや、トラウマやねん」
高「トラウマ?」
松「うん」
高「九九にトラウマ?」
松「ごっついオヤジに怒られてん」

松「ごっつい「お前みたいなやつは、なんやったって、一生あかん!」言われて、ごっつい怒られて、」
高「うん」
松「もう、引くぐらい。まあそこまで言うか、いうぐらい、あのー、無茶苦茶言われたのよ」
高「うん」
松「もうオカンも泣き出す始末で」

松「ほんま、おっさんみたいなことを言わせて、あえて言うけども、「苦」、苦しいの「苦苦」やった。もうほんまに。もう俺にとっては」(004)

 松本にとって親父は怖い存在だったのだろうと思われる。それだけでなく、松本がラジオでたびたび語る子供の頃に感じた大人への恐怖、「大人は怖い。大人は殴ってくる」(073)というような大人中心社会の中での、怖い大人の代表が親父だったのだろう。
 しかし単なる恐怖の対象というだけでもない、親父の変わった一面も松本は語っている。

松「俺だって、子供ん時にな、あの、うちのオヤジやっぱりちょっと、おかしいやろ?」

松「誰かねえ、親族が死んだのよ。そん時にうちのオヤジが、もうすぐ坊さん来るっていう時に、俺と兄貴と、オヤジもなんか知らんけどテンション高ーて、でなんか画びょうみたいのを、座布団に、」
高「ええっ!?」
松「ばー入れて、くっくっくっく笑ろてんねん。で、俺も。3人で。兄貴と」
高「子供じゃーん」
松「ちょ、もうおかしいやろ?うちのオヤジ」
高「でも、それ凄いオヤジやな」
松「凄いオヤジやねん」
高「ある意味、面白いな」
松「おもろいやろ?そーいうとこちょっと、おもろいねん」

松「変やろ?その、おっさん」
高「変やな、それ。うわ、それ自分とこのオヤジ、面白い親父やなあ」
松「まあまあまあ、おかしな子供の育て方なのよ」
高「ほんまやなあ。ほんまやわ。でもそれは、やっぱそういうとこで育ったから、松本人志が生まれたんや」
松「あれはおかしいなあ」
高「だからそういうDNA入ってねんで、だから」
松「しかも、今考え…、今、そう言いながら思い出してんけど、」
高「うん」
松「多分、その葬式、」
高「うん」
松「母方の方や」
高「うわあああああぁ」
松「ははは(笑)」
高「ははは(笑)もう、あんま興味無かったんや。やる事無いし。」(029)

 コウモリに蝋を垂らしたり、猫のチョースケをいじめたりというドSの面は松本には受け継がれていないようだが、時に苛烈に物事を否定したりという面には父親の影響ではないかと思われるところもある。

兄貴、おねえ

松「うちのおねえは、よくザビエル役してたね。そういう意味じゃ」
高「あー、どっかで聞きかじったことを、」
松「そうそうそうそう」
高「松本家へ、せっせせっせと。例えばどんなこと?」
松「いや、それは、ビーフジャーキーなんかは、」
高「あー」
松「衝撃やったもん。レーザービームのように、俺を打ちぬかれたもん」
高「俺を打ちぬかれた?」
松「ははは。細かい…」
高「ははは。まあいいや。でも、あれうまかったな」

松「やっぱね、自分、長男やろ?」
高「長男」
松「だからね、やっぱ劣ってんねん」
高「そうかー」
松「上におるとね、色んなものをね、」
高「文化を、」
松「文化をね、異文化をどんどん、どんどん、やっぱうち、兄貴とおねえの両巨頭が」
高「ははは。これは、」
松「フォークソングを持ちこみ、やれ、このポテトチップスというものを伝えたりとか、」
高「あら、それは、」
松「色んなものをやっぱり、」
高「和洋折衷やんか」

高「二大巨頭はスゴイねぇ」
松「ほんとにね、だからそのー、兄弟、やっぱ必要やねん」
高「そうやな」
松「その知らんことも、おねえや兄貴を通じて、ちょっと前までを、えぐってこれるから」
高「なるほど。なるほど。俺はないもん」
松「ないやろ?」
高「歴史がちょっと浅いもん」(112)

 兄貴とおねえは、松本に異文化を与えたのだという。ラジオでは、おねえはビーフジャーキーやポテトチップスなどの食べ物に関する異文化をもたらし、兄貴は特に松本の笑いに関わる部分である落語をもたらしている。

 ラジオでは兄貴の話はオカンの話と同じくらい多い一方で、おねえの話は極少ない。これは年が近く、同姓であった兄の方が、姉よりも接する機会が多かったためだろう。おねえに関しては、主に食のほかに、テレビドラマをおねえに合わせていたために自分が見ないようなドラマを見て面白いと感じた、という主旨の発言を松本はしている。またおねえは「屁ーこいてー」というギャグを幼稚園くらいの時に言ってウケていたり、「晩飯を他人にチラ見されるのが腹立つ」と言って覗いた子の眉間を箸で突くなど、独自の感性も持ち合わせていたようだ。
 おねえの話の中で、もっとも有名な話は、離婚したときに電子レンジを持って帰ってきた、という話だが、この話は姉をネタにしている部分もあるが、オチはオカンの「これでチンできるな」という一言であるところを見れば、松本の姉に対する気遣いや距離感が見えるように思う。

 兄貴は、松本に落語をもたらした一方で、バイクやギターなどから松本を遠ざけている。これは落語が小学校のときに兄貴と行ったのに対し、バイク・ギターはおそらく中学・高校の頃に兄がしていたことだったために、松本は敬遠したのだろう。兄とのエピソードは、やはり小学校時代のものがほとんどである。

○落語について

松「例えば、落語なんかでもそうでしょうね。うちの兄貴がやっぱり落語が好きだったりするから、」
高「なるほど。自分も、」
松「俺の世代で、落語ってそんなみんな知らんやろ?」
高「俺、自分からじゅげむを知ったもん」
松「そやろ?」
高「うん」
松「俺、落語めっちゃ知ってんねん」
高「「先年神泉苑の門前」、」
松「「門前の薬店、玄関番人間反面半身、金看板銀看板、金看板根本万金丹、銀看板根元反魂丹、瓢箪看板、灸点」やろ?」
高「それやそれや」
松「そうやねん」
高「これを、俺は小学校の時に、自分が言うてるのを聞いて、」
松「うん」
高「「ごっつきもちええやーん」」
松「ははは」
高「ラップやねん。もう」
松「そうやねん。そうやねん」
高「いわゆる。ガキの頃に「まっつん、ちょっと教えてーな。」言うたもん」
松「こういうのを、」
高「兄貴から得たんやな」
松「兄貴から。落語会とかつれていかれたりしてたからね」(112)


松「おっさんみたいなこと言うていい?みんなね、もっとね、落語とか聴いたほうがいいわ」
高「なるほど」
松「やっぱりね、落語にはね、そういうものがすごくきっちりと組み込まれてるねん」
高「なるほど」
松「その、骨組みというかね。あかんのもあるけどな。なんじゃそのオチ、っていうのもあるんやけど。企画構成が、」
高「ああ、しっかりできてるな」
松「しっかりできてるねん。そういうのを俺はもう子供のときから見て育ってきたから、もう、「ええー!」って。そこでついていかれへんようになるねん。腹立ってくるねん」
高「うんうん、なるほど」
松「だからね、今度俺あの、M−1あるやんか。あれの、結局審査員をね、やることになって。で、まあまあどんな子が出てくるかわからへんねんけど、そういうところをどうしても見てしまうねん」
高「原石とか発想じゃなくて?」
松「もちろん、いや、それが一番大きいねんけど、構成が出来てへん奴は、やっぱ俺は嫌い」
高「まあ馬鹿やから嫌ってことね」
松「馬鹿やから嫌」(012)

○バイク・ギター

高「兄貴はなんかギターやってたもんな」
松「自分は長男やから、だからけっこう、あの、何?物の流行を素直に受け入れれるねん」
高「そうか」
松「次男ってあかんねん。兄貴が全部先いくから。で、俺なんて兄貴と一緒のことしたないと思うから。んで兄貴はギターいってバイクいくやろ。んならもうそれの無いとこ無いとこ行くねん。気がついたらすごいインドアの人間なってんねん」(013)

 小学校の頃の、兄貴と人志との話にはやはり貧乏なエピソードがつきまとう。練乳を共同購入した話や、みたらし団子を作ろうとした話などがそれである。しかしもちろんそれ以外の話もあり、特に年賀状の話は松本のクリエイターの片鱗がみえる話である。

−兄貴と貯めてあったお金を出し合って、80円の練乳を購入し…−
松「それを水でごっつい溶かして、もうね、もうほとんどしゃばしゃばや。うっすら白い水みたいなん作って。それをその、丼鉢みたいなんに入れたらけっこうその、いっぱいあるわけや、ひたひたに。これ割り箸刺して、兄貴の分と俺の分と割り箸一本ずつぶぁぁ刺して、それを一日三回なめたら…(笑)」
高「(笑)最低やなぁ!ははは!すごいことしてたなぁ」
松「「これで人志、半年もつ」と。「うん!!」言うてたもんね。」(043)

松「「人志、ええ、えらいことを俺は学んできた」と」
高「うん」
松「「みたらし団子を作れる技術を、」」
高「おお(笑)」
松「「学んできたんやぞ、人志」と」
高「おおおお(笑)」

松「絶対、兄貴も覚えてると思うねん」
高「うん」
松「作ったんやけど、」
高「うん」
松「もうなけなしの金で、2人合わせて作ったんやけど、」
高「うん」
松「大失敗して、」
高「うわっ、最悪や」
松「2人で泣いたことがあんのよ。その…」
高「ははは」
松「ははは」
高「ひどいなー、ひどいなぁー」
松「兄貴と2人で、」
高「それはえらいショックやな」
松「「これはもう、殺生や。」と。
高「神も仏もあったもんやない」
松「神も仏も(笑)」
高「落ち込むわーそれ」(162)

松「俺、兄貴とチャリンコで、大晦日、あのー直接入れに行ってたけどね」
高「あーもう、時間無いから」
松「時間無いっていうか、「ハガキがおもんない」言うて、」
高「うん」
松「もっとでかーいの、もう新聞くらいの大きさの年賀状、がーっ「明けましておめでとう」みたいなんを」
高「なんか、自分、物凄い発想豊かみたいな感じにもっててるけど、ほんまか?それ」
松「いや、ほんまほんま」

家族

 松本から語られる家族の行動や言葉の全てから、現在の松本人志を作り上げた影響を見る、というのは強引すぎると思うが、やはりいくらかは松本に影響を与えた部分があっただろう。やはり特に、大人中心社会での、父親をはじめとした怖い大人の中で、唯一の味方であったはずのオカンが、弁当で「奇襲攻撃を仕掛けてくる」というような矛盾は、松本の笑いの根本に通じるものの一つではないかと思えるものがある。