R-1ぐらんぷり雑考。

 最新の放送室でR-1について触れていたので、自分の考えを。

 R-1は、自分の記憶どおりなら、元々はM-1のパロディといった感じで開かれた大会だったような気がする。第一回が行われた際の出場者は、オール阪神などのベテランや普段はコンビで活動している漫才師がピンで出場するという、「一人でおもしろかったらなんでもいい」という、M-1の厳格さに対してのゆるさがR-1には出ていた。

 松本は放送室の第16回の放送で、M-1の元々のあり方について、「紳助さんも、お祭り感覚で賞金一千万。軽い感じでやったらええやん。遊び感覚でやろうぜ、って言うところが出発点にあったはず」と語っている。M-1は構想の段階ではそうだったのかもしれないが、第一回目からキッチリとした審査員を招き、デビュー10年以下というルールを設けて、厳格な漫才の大会へと仕上げられた。このM-1では達成されなかった「お祭り感覚」の部分が、M-1のパロディとして作られたR-1にはあった。だからこそ、『ぐらんぷり』と平仮名で表記してパロディ色を強調し、ベテランでも誰でも参加できるように年齢制限など設けず、賞金も手ごろな100万、放送も関西ローカルで、審査員もそれなりの、楽しむ大会のはずだったのだ。

 だが、M-1化の波が押し寄せる。パロディとしてスタートしたR-1は、ピン芸人のための真剣勝負の場としての需要が高まっていく。やがて賞金は500万になり、全国放送化された。ベテラン勢が遊びで参加する雰囲気は消えていくのだが、一方でコンビがピンで参加する、個人技披露の場としての役目はまだ保たれているのは、プラン9の浅越ゴエが第二回で優勝したせいかもしれない。

 とにかく、R-1は元々イロモノ大会として出発したが、やがて真剣な大会へとすりかわっていった。しかしルール上や大会の流れのなかに残された『イロモノ大会の残滓』は現在まで残っていて、松本がほっしゃん。の優勝以降に求めてしまっているような『真剣なピン芸人の争い』と混濁している状態なのがいまのR-1なのだと思う。
 2002年に始まった大会だし、M-1と違って資料がほとんど残っていないからうる覚えの記憶なので、間違っているかもしれない。もしかしたら、オール阪神とかが決勝に出てるのを見て、パロディ大会だと思ったのが先だったかも知れない。ただ、現在ほどの真剣さがなかったと思う。関西ローカルのころのR-1を見ていない人は、端からガチの大会だったと思っているかも知れないが、少なくとも自分はそう感じてはいなかったというのは間違いない。

 よくよく考えてみると、第一回のR-1は見ていないが、第二回目のR-1は見た。そのときにはそれなりにガチっぽい感じになっていた。あべこうじが優勝しないかなと思ってみてた。一回目を見た人はどんな雰囲気だったか教えて欲しい。自分の考えは完全に間違ってるかもしれないし。