松本人志監督「大日本人」の公開までの経緯

松本は以前ラジオ内で、「芸人が越えるべき山」について語っている。芸人にとってはまず売れるということが最初の「山」であるし、それを世間に定着させるためにさらに「山」を越えていかなければならない。
 松本が今までに越えてきた「山」というものを推測すると、「芸人として天下を取った」「『ごっつ』という伝説の番組を作った」「芸人自体の地位を引き上げ、認めさせた」「『松本人志』という人間自身の価値を認めさせた」など、本人が思う「越えてきた山」というものとは違うのかもしれないが、いくつもの山を越えてきたということは誰の目にも明らかだ。

松「ちなみに俺は、あのー、あと二山とかんがえてますけどね」
高「松本人志も」
松「うん」
高「二山かいな!」
松「うん」
高「えー!!」
松「あのー、いや、だから、俺の場合は、もう一個、まあまあの山を登りたいなあ。そいで、まあそこで終わってもええし、もう一個もっとでかい山を目指したいなあっていう感じかなあ」(28)


 AERA 5/7日号の中のインタビューで、松本人志は映画が一つの分岐点になる可能性があるということを語っている。それは第28回のラジオで語った「まあまあの山」というものが今回の映画になるかも知れず、またその映画が「もっとでかい山」(=あるいは世界進出?)に繋がるかもしれない、ということだろう。
ここではラジオ「放送室」から映画「大日本人」制作の経緯を拾い上げていきたいと思う。できれば公開前までに。

映画までの経緯。

大日本人」は構想5年の映画ということだが、これ以前から高須から映画を撮れと言われていたものの、松本自身の口から明確な映画制作の発言がなされたのは2002年5月23日、第34回の放送においてである。

松「いやいや、ほんでな、俺はもう、俺は有言実行やから」
高「うん」
松「言うで」
高「なんでも言うて」
松「もう、俺はもう、決めた」
高「何を決めましたか?」
松「俺はもう、映画を撮る」
高「おっ!いよいよ」
松「決めました」
高「遅いぐらいやで」
松「もう、しょーーもないねん!!!」
高「…いや、何がよ。何がしょうもないねん(笑)」
松「ははは(笑)」
高「それまず、ちゃんと言うてくれんと。「しょうもないねん」て(笑)」
松「もう、映画がしょうもないねん」
高「他見とってもな」
松「他見てっても」
高「なるほど」
松「アホみたいな、アホばっかり集まって」

  この時点で構想はキーワードは「あるといえばある」と言いつつも「ぜんーぜん無いのよ」という殆どなにも考えていない状態だったようだ。この映画制作宣言のきっかけは以下のようなやりとりからだったという。

松「こないだね、楽屋にあの、なんやあのー、岡本がなんとなく、コンコンって来て、」
高「ほう」
松「で、まあ何っちゅう話でもないけど、わー喋ってたら、」
高「うん」
松「段々腹立ってきてぇ、」
高「おう」
松「別に岡本に腹経ったわけでもないんやけど、なんか急にな、もうーなんやろ?なんかもう、「イッラァーッ」って来て、」
高「うん」
松「もうなんか、ごっつ映画、撮った、撮りたなってきたんや」
高「うん。えーやんか。それは」

松「アメリカ人に受け入れられるような映画を撮ろうっていうことはね、結局ねテレビでやってる作業とあんまり変わらへんような気がすんのよね」


高「いつごろの予定?」
松「…え?もう会議が、始まるか」
高「「始まるか」…?ははは(笑)」
松「ははは、もう始まるんですよ」
高「おお、そらそやな。さすがにもう、やっていかんとな」
松「もう、やっていく。絶対に」

松「もうやるで」
高「いよいよ行きますか、映画に」
(34:2002年05月23日)

この話が出た頃は、現在ほど邦画が活気付いている状態ではなく、現在ほど邦画が元気だったなら松本の映画制作の決意も起こらなかったかもしれない。

経過

しかし、しばらくは会議は行っていたようだが、制作は遅々として進んでいない様子だった。ラジオを聴いていた限りでは映画の話は立ち消えになったのだろうと思ったほどだった。

高「今年の目標なんですかいな?」
松「えー今年やろ?今年なー、映画がさあ、ちょっと滞っとんのや」
高「なんでですか?それは」
松「いや分からん。なんやスタッフぐりでなんやかんや、言うて。それがいければなあ、もうそうしたいんやけど」
高「いや、それが決まればなあ」
松「もう、パンパンパンパーンとしときたいねんけどな」
高「うん。井筒さんがね、「ゲロッパ」やっておりますけどね」
松「はあはあはあ。大丈夫なんかな」
高「大丈夫かなー。ちょっと不安やなー」
松「なあ?」
高「ちょっとあんだけ言うてるから、でも、まあまあ、どうなやろなあ」
松「期待されるとなー」
高「そやねん。そうやねん。そういう目線で見られるから。

松「でも、それが無理やったら、またVISUALBUM再開するっていう手もあんねんけどな」
高「まあどっちでもええんやけどね。まあ物作りは一緒やからね」
松「まあ、なんかはせなかあんわな」
高「なんかはせなあかんね」
松「なんかはせなあかんけど、もうテレビではあんまやりたないから、なんかないかなぁ」
高「なんかな」

松「俺なんかもCMやりたいな、ってちょっと思うけど、絶対ケンカするやろな」
(70:2003年01月30日)

高「あのー、あれですね、「座頭市」が」
松「あーはいはいはいはい」
高「すごいねー」
松「うん、でもねえ、俺ねえ、たけしさんこうなってくるとね、いや、俺はねえ、全然違うんやけどー、俺がちょっとやりにくなれへん?」
高「やりにくなんなー」
松「なんか、あのー、」
高「こんなに、なんか「世界のキタノ」とか、なんかねえ」
松「言われるとねえー」
高「映画とると、凄い期待値が上がるよねえ」
松「いや、期待値上がる言うか、うーん、別にー、ほら、面白い映画を、俺は撮ろうとしてるから」
高「うんうん」
松「多分、外人ーー、」
高「には、分かれへんよなあ。あんまりなあ」
松「分かれへんと思うから、なんかねえー」

松「まあねえ、でも観たいよね。俺もちょっと観たいね」
高「俺も観たいのよねー」
松「うーん。まあ、ちょっとねえ、ちょっと、俺なんかはやりにくいんですけど」
高「やりにくい。でもまあまあ、ね、頑張ってやらないと」
松「それ、映画以外になんかないのかなあ?」
高「なんかねー」(103:2003年09月18日)

 松本人志は常に新しいことに取り組んできている。そして同じようなもの・企画を繰り返すことはあまりない。映画の企画が立ち上がって以降も、芸人の持つ絶対に滑らない話を話すだけの番組「人志松本のすべらない話」、第一線の中堅芸人たちがネタを披露した「ドリームマッチ」とそこから派生した「リンカーン」、ネット課金を利用したコント「Zassa」、他にも「ワールドダウンタウン」、「おっさん人形」など、常に何かしらの新しい試みをしている。
上記の「映画以外になんかないのかなあ?」という発言からも見えるように、松本にとっては「新しい試み」や「異なった環境」が重要なのであって、映画以外に新しい「器」があれば映画制作でなくてもよかったのだろう。
 こうも考えられる。松本人志はラジオで「もう自分が面白いことはわかっている」と語ったことがある。ガキのトークもラジオもやれば面白いことはもう松本自身も視聴者もわかりきっている。そういう意味では『松本人志』はもう完成しているのであり(あるいは小学生の頃からもう完成していたのであり)、松本人志を変化させるには、松本人志を表現する『器』を変えていく以外に方法はないのではないのだろうか。『器』というのは、松本人志を表現していく媒体・メディアや環境のことで、TV、ラジオ、映画、活字、インターネット、あるいはコント、トーク、企画、もしくは一人/多数、日本/世界・・・。もちろん松本自身に常に新しいことを試みたいという欲求があるのだろうが、松本人志は完成しているがゆえに常に新しい試みをしなければ「松本人志」を維持し得ないのかもしれない。それは能力の衰えというよりも、相対的な世間の評価が、常に100点を出す松本に慣れてしまうことで、100点を出しているにも関わらず「同じことしかしていない」という評価にすりかわってしまう部分が大きいのだろうが。

松本人志の生い立ち⑥−中学・高校

 まず確認しておくこととして、放送室では中学・高校の話は比較的少ない。高校時代に関しては、高須と松本が別の高校に行ったため、そして松本自身が「高校なんかおれぜんぜん面白なかったわ」(026)と言うとおりに面白いことが無かったために喋ることが少ないのだろう。
 中学校時代については、「中二はおもろかったな」(026)と松本が過去を振り返って唯一面白かった時期として挙げており、番組名の由来となった放送部も中学校時代の話なのだが、その話題に触れることはあまり多くない。それについて考えられる理由をいくつか挙げれば−

 ①ラジオでよく話される過去の貧乏話だが、姉や兄がバイトができる年になり、自身もバイトをするようになったために、金銭的な部分では若干余裕ができた。もしくは欲するものが玩具から性欲の方向にシフトしたために、『どうしても欲しい高価なもの』を求めなくなった。
 ②中学校の時からできた、彼女に関する話には、松本は明確な線引きをしているようで、ほとんど話をしないため。照れと彼のポリシーの為だろう。
 ③現在の相方である浜田との思い出をラジオで語ることへの照れ。
 ④ラジオで話される面白い昔話は、挫折・屈折の経験が主であり、楽しかった時期には挫折は少なかったはず。また挫折・屈折が少なかったからこそ楽しかったのだろう。

−などが考えられるだろう。

■中学校

松「中学の時は、ちょっと戻りたいわ」

高「中学のいつぐらい戻りたい?」
松「中2やな。中2はおもろかったなあ」
高「中2はおもろかったなぁ」
松「あれは、おもろかった」
高「おもろかったよ。おもろい奴がおったもん」
松「あの1年間は、ほんまに」
高「面白かったな」
松「でも、そこから以降もう、ぐずぐずやな」(026)

 「過去に戻りたいか」と問われて、「戻りたくない」と答える松本が、唯一面白かったと答える中学二年生のときに、初めて浜田と同じクラスになっている。それまで互いに面識はあったようで、高須は小学校のときから浜田とは仲良くしていたようだが、松本と浜田が友達になったのはこの中2からだった。

高「そん時に自分と浜田が逢うたんやからな。同じクラス」
松「そうそうそう、初めて俺同じクラスになった。初めて喋った」
高「それまで喋ってないからな、ほんまに」
松「そうやねん」
高「そうやで。凄いクラスやってん、だからあん時」
松「そうやねんなー」
高「そうやで。あの時に浜田と同じクラスになってなかったら、友達になってないねん」(026)

 この時の中2のクラスは、松本曰く、余りに「ガッチリいきすぎてた」ために、中3のクラスでは松本のグループは全員バラバラのクラスにされてしまうほど、松本のグループは弾けていたようだ。この中3のクラス分けで、松本は「特に俺なんてほとんどひとりにされた」「負ばっかりのクラス」「ここでウケて何になるねん」「「こんなに出来へんねや、こいつら」」というような、高須から見ても「笑いのわかってない奴が多い」クラスになってしまった。

 このために中3はあまり楽しくなかったようだが、バラバラにされた結果、松本のグループは放送部に集まることになる。

松「中三でみんなバラバラにされたもんやから、みんなかなわん言うて、放送室、みんなが勝手に放送部やいいだして、」
高「これがまた問題になったやろ」
松「で放送室をみんなで陣取ってやな、もうみんな溜まり場みたいになったんや。これがまたおかしなったんや」
高「まあ、でもおもしろかったやろ。放送部も」
松「…まあまあね」

 そしてこの後、伊東と浜田の大喧嘩が起こることになる。結果、伊東氏は放送部に来なくなり、松本のグループとは遊ばなくなった。「一時期3人でよう遊んでた」松本だったが、この事件以降は浜田と二人で遊ぶことが多くなったと推察できる。二人で高田みずえのコンサートに行ったり(073)、ジュリーのカセットで騙されたり(160)、一緒にじゃんじゃんをやりにいったり(084)、ダブルデートをしたり(078)というのはおそらく中2から中3頃のエピソードで、その頃の浜ちょんとの関係が伺えるものだと思う。

悪行

 「ガッチリいきすぎてた」ために中3ではバラバラにされたという、当時の松本たちだが、バラバラにされなければいけないようなグループとはどういうものだったのか。それは「坂西の家」のエピソードでよくわかる。 

高「でも考えてみ、自分。あの、坂西の家な、」
松「うん」
高「あいつなんや、もう「遊べへん。」言うて」
松「あいつ「家おれ。」言うたのに、おれへんかったんや」
高「おれへんかったから、」
松「うん」
高「あのー、「家の扉を開けたろかー」って開けて」
松「うん」
高「ギコギコのこぎりで開けて、」
松「うん」
高「で、もう中、勝手に入ってよ?」
松「うん」
高「もうドア、もう半分なんや分かれへんわ。穴開いてもうて、真ん中くらいのとこ、ポストのとこな。そっから手入るようにして開けとるから」
松「うん」
高「中入りました。中入って、なんかタンスでションベンしたりとかやで?」
松「うん」
高「親父のそのー、なんやあの、一升瓶中に、これもションベンやったかな」
松「こしょうや」
高「こしょうか。入れて、うんこそのままにしといたりとかな」
松「うんうん」
高「そんーなことな、」
松「うん」
高「考えられへんで」
松「(笑)」

高「めちゃめちゃやで。あれも」
松「まあ、そやね。考えたらめちゃめちゃや」(231)

 また武道館での公開録音で話された修学旅行の話からも、悪戯の一端が伺えるが、それよりもその修学旅行が楽しかったという空気が見える話でもある。この公開録音では、伊東、和田、藤井、浜田の四人がゲストとして招かれた。

浜「俺は、こいつが床の間でうんこしてるから、ペンライトでずっと肛門照らしてたんや」
高「それはその後やねん。まず自分が、「ションベンしたいわー。」言うて、」
松「うん」
浜「うん」
高「空き缶にションベンが絶対入れへんのに、そこにションベンしてたんや。ザーッ」
浜・松「ははは」
高「全部、バタバタバタバターってこぼれてんのに、」
松「ははは」
高「で、松本が触発されて「うんこしたいわー。」言うたんや」
松「そうそう」
浜「せやせやせや、そうや」
松「いやー、」
伊「口火切ったんやな。やっぱな」
浜「ははは」
高「めちゃくちゃや」
松「ボンがかわいそうでな、ボン物凄い熟睡してんのに、」
伊「あー」
松「「200カンデラをあてたるー!」言うて、」
高「やってたやってた(笑)」
和「ははは」
高「やってた(笑)」
松「「そんなお前には、200カンデラや!」言うて、懐中電灯ビカーッ、やって」
浜・和「ははは」
松「「もうええって。もうやめてーやー。もうやめてーや。」
高・浜「ははは」
高「あれはおもろかった(笑)」
伊「200カン…(笑)」
松「で、バヤリース飲んで…、ボン寝てんねん。ガー寝てるとこにな、バヤリース飲んだら口ぬるぬるなるやん。それのタンを、ピュー…、つるん。ピュー…、つるん。(タンをボンの顔の上で垂らしたり、戻したりしている)」
伊「やっとったやっとった(笑)」
松「最後かけな終らへんやん。ダラーっなって。「もうやめてーやー」」
全「(笑)」

■高校

悪い高校

高「自分の高校、あれ、なんやあれ」
松「あそこはちょっともー、」
高「あそこ、1番ばっか集まってくるやろ?」
松「おかしかった。インターハイみたいな感じやね」
高「いや、ほんまやで」
松「うん」
高「あの、近畿のいろんな中学校の一、二番が集まってくるやろ」
松「そうそうそうそう。逆にケンカなかったけどね」
高「だからちゃんと、できてるねん。えっ、謀反は起こせへんの?」
松「ほとんどケンカなかったで。あっても、それもピラミッドの下の方やわな」
高「あ、なるほど。上の方は決まってて」
松「かっちり決まってんねん。もう。入学式からもう決まってんねん。「あーこれはこれは。」みたいな感じやねん」
高「「どこどこのなになに君」」
松「「どこどこのなになに君」みたいなことやねん」」(112)

 松本の通っていた高校は特に悪い高校だったという。「番長が生徒会長」「クラス40人が全員そろうことがほとんどない」「授業中でも机並べて寝てる奴がいる」「先生が授業の前に吸殻掃除をする」というような状況で、「ルールがなさ過ぎて面白くない」というほどだった。
 そんな中で松本は、なぜか周囲から一目置かれる存在になる。

松「俺らの学年の時は、俺らのクラスにおった奴が生徒会長やった」
高「ああ、そいつトップやったんや。それとケンカしたんや自分?」
松「ちゃうちゃう。それが「松本は怒ったら何するか分からん」って言うた。
 なんか知らんけど言うたんや」
高「うわ、物凄いええやんか」
松「なんか分からへんねんけど「こいつは、ちょっと、おかしい」みたいな」
高「うわ。
松「…違う意味で言うてたんかもわからん」
高「ははは」
松「ははは。」
高「でも、それが、そういう風に…」
松「それがなんかそういう風になったんや」
高「一発のCM広告が」(084)

高「「悪い奴がみんな集まってるでー」言うてたもんな」
松「そうやねん。ただ、何故か俺は、なんかちょっと強いって思われてて」
高「これが得したなぁ」
松「これが、なんか、これで3年間乗りきった、みたいなとこあるで」
高「これさあ、入り口間違ってたら、もうほんま人間やめてるかもしれへんな」
松「いやほんまに、ほんまに。うん」
高「なあ?」
松「うん。でも、いやでもね、それもあんねんけど、「この学校で、なめられたら、絶対3年間、最悪や」っていうのは、やっぱりあったのよ」
高「あー、そうやろなあ」
松「うん。だから、強かないけど、強かないけどもしなんかあったときは、とことんやらんと、もう3年間もう水の泡になるから、っていうのは。そういう危機管理、」
高「はは、なるほどなるほど」
松「それは持ってたから。それがちょっとこう、伝わったんかもわからへん」
高「なるほどな「あっ、こいつなんか本気や」っていうのが」
松「なんか物使ってでも絶対何とかせなあかん、っていうのは」
高「3年間えらい目にあう」
松「もうえらい目にあうから」(056)

 どうしようもない不良高校で、松本は最初にケンカをする。そのケンカは「一発殴っただけで、先生に止められて」というようなものだったが、その結果、学校で一番強い同級生に一目置かれるようになり、そのまま三年間うやむやにしたという。 
 また松本は、別の高校に通っていた「ミス的な彼女」の送り迎えをする「ヒモみたいな」ことをしていたという。

高校のときの、松本と浜田と高須

松「そんな、高校時代やわ。考えたら。だからなんにもないな」
高「え、その時、浜田と会うてた?ちょこちょこしか会うてないやろ?帰ってきた時しか会うてないやろ?」
松「ちょこちょこ、しか会うてないな」
高「俺だから、一回、俺が浜田のとこ行ってて、」
松「うん」
高「浜田が帰ってきた、言うて。で、風呂屋行くやんか。あいつ、その、昭和風呂」
松「うん」
高「んで浜田が昭和風呂おって。俺さっとんと一緒におったから」
松「うん」
高「昭和風呂の前でおったら、「おおー、帰ってきたんやー。」「帰ってきてん。帰ってきてん」て喋ってて、えらい、話に花咲いて」
松「うん」
高「で、浜田の家の前で喋ってたら、自分が来たんや」
松「うんうんうん」
高「一人すーっと来て。で、「おお、久し振りやな、まっつん!」みたいなことなって、そっからまた、夜中の12時過ぎまで、ずーっと喋ってたで」
松「あぁ」
高「何喋ったかわからんけどなあ」
松「うん」
高「そん時に、俺「あ、久し振りやな」って自分と会うたん、そうやなあ、浜田介さな会ってないもんな」
松「あんまり会うてない。高校ん時は」
高「だから、浜田とこ行ったら、自分がおったみたいなとこあったもん」
松「うん」(056)

 高校の頃は、松本と高須はあまり会っていなかったようだ。高須は当時、松本よりも浜田と親しくしていたらしく、浜田を介して松本と会うという程度だった。浜田はその頃全寮制の高校に入っていて、帰ってきたときに松本と会う、という様子だったと思われる。
 その頃は、漫才やお笑いという世界を志すという気持ちはまったくなかったという。

高校卒業

 高校卒業後は、日刊アルバイトニュースの印刷工になるはずだった松本だが、浜田の誘いを受けて吉本興業がその年に開校したNSCに入ることになった。その入学には、単に働きたくなかったという気持ちもあったという。

松「高校卒業間近の時に、俺、おかんに言うたよ」
高「うん」
松「「あんた、就職どうすんの?」」
高「うん」
松「「俺、もうせんとこ思ねん。」て」
高「うん」
松「「もう、バイトでええやん。」と」
高「うん」
松「「バイトの方が、結局、一ヶ月稼げるでー。」って言うたら」
高「うん」
松「「アホか、あんたはー!」言うて」
高「そんなんあり得へんで」
松「「あり得へんわ、あんたー!」言うて」
高「言うてた、言うてた、言うてた」
松「「もうあんた、そんなことお父ちゃんに言うたら、もうあんたもう、」」
高「「あんたもう、」」
松「「アレやでぇー!!」言われて」
高「なんやねん(笑)」
松「ははは。」
高「おかん、そこや。パシッ!と言うたらな。そこ(笑)」
松「「あんた、またアレやでー!」言うて」
高「言うて(笑)」(177)

松「20年ですよ」
高「ダウンタウンも20年ですよ」
松「ほんまや」
高「こんな感じになる思うとった?」
松「うーん…」
高「どう?あの、18やろ。そのころさあ18で芸人なろうと思いましたわ。思いましてね、これ、20年後にはどないなってると思ってました?」
松「あのねーそんなもん、振り返ってみれば、よう考えたばねえ、」
高「うん」
松「そんなんあんま考えてなくてねー、働くのがいややったんや」
高「うん。普通に働くのがな」
松「うーん。いや、普通に働くとかじゃなくて、「働く」んがいややってん」
高「単純に労働がいややったんや」
松「うん。で、高校卒業するとき、みんな就職が段々決まっていくやろ?」
高「決まっていく。決まっていく」
松「もうそれがいやでさー」
高「うん」
松「「なんで就職せなあかんねん。」いまでこそほら、フリーターという便利な言葉があるけど」
高「当時無かった」
松「当時無かったやんか。んで、今はバイトやって食うていくっていうのもそんなに…?」
高「まあな」
松「まあまあ20代前半なら許されるくらいの感じやんか。当時そんなんなかったもんな。高校後半年くらいで卒業やいうときに「就職せえへん」なんかいうたらもう「あんた何考えてんの」言われて」
高「「近所に顔合わせできへんわ」言うてたもんな」
松「うん。俺、おかんに言うたもん。就職したって、月、あれ、なんぼ?10何万貰うぐらいやったら、「バイトしたほうが稼げるから、バイトずっとしてたら、あかんのかいな。」言うたら」
高・松「「アホかあっ!!」」
高「分かるわ、そんなもん。絶対おばちゃん言うわ。「アホかあっ!!人志!ちょっとおいで、もうあんたは!」」
松「はは。って言われたもん」
高「うん」
松「だから俺、まあ、そういう意味じゃあ大学行きたかったわな」(043)

 当時、NSCに入った頃は、売れるとかどうこうじゃなく、「とにかく仕事がしたくなかった」(043)という。NSC入学にはそういった背景も絡んでいた。

R-1ぐらんぷり雑考。

 最新の放送室でR-1について触れていたので、自分の考えを。

 R-1は、自分の記憶どおりなら、元々はM-1のパロディといった感じで開かれた大会だったような気がする。第一回が行われた際の出場者は、オール阪神などのベテランや普段はコンビで活動している漫才師がピンで出場するという、「一人でおもしろかったらなんでもいい」という、M-1の厳格さに対してのゆるさがR-1には出ていた。

 松本は放送室の第16回の放送で、M-1の元々のあり方について、「紳助さんも、お祭り感覚で賞金一千万。軽い感じでやったらええやん。遊び感覚でやろうぜ、って言うところが出発点にあったはず」と語っている。M-1は構想の段階ではそうだったのかもしれないが、第一回目からキッチリとした審査員を招き、デビュー10年以下というルールを設けて、厳格な漫才の大会へと仕上げられた。このM-1では達成されなかった「お祭り感覚」の部分が、M-1のパロディとして作られたR-1にはあった。だからこそ、『ぐらんぷり』と平仮名で表記してパロディ色を強調し、ベテランでも誰でも参加できるように年齢制限など設けず、賞金も手ごろな100万、放送も関西ローカルで、審査員もそれなりの、楽しむ大会のはずだったのだ。

 だが、M-1化の波が押し寄せる。パロディとしてスタートしたR-1は、ピン芸人のための真剣勝負の場としての需要が高まっていく。やがて賞金は500万になり、全国放送化された。ベテラン勢が遊びで参加する雰囲気は消えていくのだが、一方でコンビがピンで参加する、個人技披露の場としての役目はまだ保たれているのは、プラン9の浅越ゴエが第二回で優勝したせいかもしれない。

 とにかく、R-1は元々イロモノ大会として出発したが、やがて真剣な大会へとすりかわっていった。しかしルール上や大会の流れのなかに残された『イロモノ大会の残滓』は現在まで残っていて、松本がほっしゃん。の優勝以降に求めてしまっているような『真剣なピン芸人の争い』と混濁している状態なのがいまのR-1なのだと思う。
 2002年に始まった大会だし、M-1と違って資料がほとんど残っていないからうる覚えの記憶なので、間違っているかもしれない。もしかしたら、オール阪神とかが決勝に出てるのを見て、パロディ大会だと思ったのが先だったかも知れない。ただ、現在ほどの真剣さがなかったと思う。関西ローカルのころのR-1を見ていない人は、端からガチの大会だったと思っているかも知れないが、少なくとも自分はそう感じてはいなかったというのは間違いない。

 よくよく考えてみると、第一回のR-1は見ていないが、第二回目のR-1は見た。そのときにはそれなりにガチっぽい感じになっていた。あべこうじが優勝しないかなと思ってみてた。一回目を見た人はどんな雰囲気だったか教えて欲しい。自分の考えは完全に間違ってるかもしれないし。

松本人志の生い立ち⑤−家族

 松本がラジオで語る、家族についての話には、親父、オカン、おねえ、兄貴、じいちゃんが登場するのだが、ラジオではそれぞれが松本にとってどういう人間だったかがわかりやすく、そして繰り返し語られている。
 端的に言えば、親父は松本にとって怖い存在、オカンはデリカシーやセンスに欠けるが人志への愛に溢れた人間、おねえは斬新な食べ物を家に運んでくるザビエル的な役割、兄貴は落語や音楽などの文化を人志に伝える役割、そしてじいちゃんは優しくて新しい物好きな、人志が大好きなじいちゃんだった。
 ラジオでは、オカンと兄貴の話が7とすれば、親父が2.5、じいちゃんとおねえで0.5といったくらいの割合で話されている。オカンと兄貴の話はよく話されているのに対し、じいちゃんとおねえの話は現在300回近くある放送の中で、2・3回といった感じである。

オカン−矛盾の体現者。

 オカンに関しては、悪口に近い話が多く、オカンが人志に注いだ愛情の話などはもちろん松本本人からは出ないのだが、高須が松本のオカンの、人志への愛の大きさについて語るときに、松本がそれを否定しないことから、オカン秋子の人志への愛は本人も認めるところなのだろう。

「平凡な暖かい家庭からは、すごい発想の人間は生まれてこない」という松本の発言から−
高「やっぱね、貧乏だけでもあかんねん。俺が思ったのは。俺も考えたんですよ」
松「うんうんうんうん」
高「やっぱね、貧乏やけども、貧乏をなんとかその、「うちは貧乏やない」と。「愛情だけはたっぷりあるでー」ぐらいの、ちょっとねあったかい家庭じゃないとあかんねん」
松「うーん」
高「これね、ほんまに冷たい家庭はあかんで」
松「まあそうやな。うーん」
高「やっぱり程よい愛情は必要やねん。貧乏で」
松「そうやな…」
高「これ、なんでや思う?自分」
松「…知らん」(119)

高「でもな、親の愛情っていうのは結構必要やったりするで。…たまたま自分はちゃんとして育ってるけど、なんか一個間違ってたらわからへん」

高「そら、自分とこのおばちゃんが、俺は見てるけども、自分のおふくろが、かなりしつこいくらいの愛情があったから…」
松「うーん」
高「そらな俺は、自分とこのおばちゃんのなんかああいうとこがないと、どっかその…、確立できてないと思うで」(009)

 オカンは人志への愛に溢れている一方で、デリカシーやセンスが無い一面もある。弁当にシーチキンの缶を入れるのもそのひとつであるし、オカンとマー君のコントでの「あんたパンツにうんこついてるで」と彼女の前で言ったのが実話だったというのもそうだろう。

松「小学校の5、6年ぐらいの時に、俺言われたのをいまだに覚えてんねん。
高「何言うたん?
松「「人志、あれ、あれやで。お父さんはな、ものすご噛むんやでぇー。」って、俺言われたことあんねん」
高「気持ち悪い。何ぬかしとんねん」
松「(笑)」
高「もー、気持ち悪い。ちょっとM入ってるんちゃうん?」
松「おぞましいやろ?」
高「もう気持ち悪い、なんでそんなこと」
松「おどろおどろしいやろ?」
高「なんで子供に言うてんの?そんなこと」
松「何でそんなこと…、ほんでね、もう意味が分からへんわけよ」
高「もう二つ一緒になって気持ち悪いわ。それ」
松・高「ははははははは」(215)

 ラジオでオカンの話をよくするのは、「愛に溢れているがデリカシーが無い」、つまり「哀しいが愛がある」という松本の笑いの方法論をオカンが体現しているために、笑いにしやすいという面もあるのかもしれない。オカン自身に愛があるのにデリカシーやセンスが足りていない、オカンに愛があるのに弁当の中身や生活水準が釣り合っていない、という点は、キッチリやデリカシーを重視したり、「何でこれができてるのにあれができへんねん」と叫ぶ、松本の考え方に何らかの影響を与えているようにも思う。

親父

 ラジオの第九回の、自分の子供が生まれたら、という話の中で松本は自分の子供に対して「会話をしない」「ほっといたらいい」「勝手にしよる」「それであかんかったらええやんか」「トラウマだらけの子供でいい」という、自分の子供への子育ての考えを示しているが、これは松本が父親に対してとられた態度と似通っている。

高「まぁ自分の親がそやったから、おっちゃんがなんとなくほら、結構そういう感じやったやろ?結構冷たい感じやったやろ?」
松「うん」
高「なあ」
松「うん」
高「だからそういうのがあるんちゃう?」
松「会話ほとんどないで」
高「そやろ?」
松「まとめたら多分60分ないと思うわ」
高「えー、マジで?」
松「マジマジ。多分ね、60分ないんちゃうかな。A面だけで終わりちゃうかな」
高「うーわ、A面だけかいな(笑)」(009)

 また、松本は九九にまつわるトラウマについて語っている。松本はトラウマという言葉をラジオで何度か出しているが、自身の明確なトラウマ体験の話は、この九九の話くらいではないかと思う。

松「その話する?九九を何故、俺が覚えてないか」
高「いや、いいよいいよ。教えてよ」
松「いや、トラウマやねん」
高「トラウマ?」
松「うん」
高「九九にトラウマ?」
松「ごっついオヤジに怒られてん」

松「ごっつい「お前みたいなやつは、なんやったって、一生あかん!」言われて、ごっつい怒られて、」
高「うん」
松「もう、引くぐらい。まあそこまで言うか、いうぐらい、あのー、無茶苦茶言われたのよ」
高「うん」
松「もうオカンも泣き出す始末で」

松「ほんま、おっさんみたいなことを言わせて、あえて言うけども、「苦」、苦しいの「苦苦」やった。もうほんまに。もう俺にとっては」(004)

 松本にとって親父は怖い存在だったのだろうと思われる。それだけでなく、松本がラジオでたびたび語る子供の頃に感じた大人への恐怖、「大人は怖い。大人は殴ってくる」(073)というような大人中心社会の中での、怖い大人の代表が親父だったのだろう。
 しかし単なる恐怖の対象というだけでもない、親父の変わった一面も松本は語っている。

松「俺だって、子供ん時にな、あの、うちのオヤジやっぱりちょっと、おかしいやろ?」

松「誰かねえ、親族が死んだのよ。そん時にうちのオヤジが、もうすぐ坊さん来るっていう時に、俺と兄貴と、オヤジもなんか知らんけどテンション高ーて、でなんか画びょうみたいのを、座布団に、」
高「ええっ!?」
松「ばー入れて、くっくっくっく笑ろてんねん。で、俺も。3人で。兄貴と」
高「子供じゃーん」
松「ちょ、もうおかしいやろ?うちのオヤジ」
高「でも、それ凄いオヤジやな」
松「凄いオヤジやねん」
高「ある意味、面白いな」
松「おもろいやろ?そーいうとこちょっと、おもろいねん」

松「変やろ?その、おっさん」
高「変やな、それ。うわ、それ自分とこのオヤジ、面白い親父やなあ」
松「まあまあまあ、おかしな子供の育て方なのよ」
高「ほんまやなあ。ほんまやわ。でもそれは、やっぱそういうとこで育ったから、松本人志が生まれたんや」
松「あれはおかしいなあ」
高「だからそういうDNA入ってねんで、だから」
松「しかも、今考え…、今、そう言いながら思い出してんけど、」
高「うん」
松「多分、その葬式、」
高「うん」
松「母方の方や」
高「うわあああああぁ」
松「ははは(笑)」
高「ははは(笑)もう、あんま興味無かったんや。やる事無いし。」(029)

 コウモリに蝋を垂らしたり、猫のチョースケをいじめたりというドSの面は松本には受け継がれていないようだが、時に苛烈に物事を否定したりという面には父親の影響ではないかと思われるところもある。

兄貴、おねえ

松「うちのおねえは、よくザビエル役してたね。そういう意味じゃ」
高「あー、どっかで聞きかじったことを、」
松「そうそうそうそう」
高「松本家へ、せっせせっせと。例えばどんなこと?」
松「いや、それは、ビーフジャーキーなんかは、」
高「あー」
松「衝撃やったもん。レーザービームのように、俺を打ちぬかれたもん」
高「俺を打ちぬかれた?」
松「ははは。細かい…」
高「ははは。まあいいや。でも、あれうまかったな」

松「やっぱね、自分、長男やろ?」
高「長男」
松「だからね、やっぱ劣ってんねん」
高「そうかー」
松「上におるとね、色んなものをね、」
高「文化を、」
松「文化をね、異文化をどんどん、どんどん、やっぱうち、兄貴とおねえの両巨頭が」
高「ははは。これは、」
松「フォークソングを持ちこみ、やれ、このポテトチップスというものを伝えたりとか、」
高「あら、それは、」
松「色んなものをやっぱり、」
高「和洋折衷やんか」

高「二大巨頭はスゴイねぇ」
松「ほんとにね、だからそのー、兄弟、やっぱ必要やねん」
高「そうやな」
松「その知らんことも、おねえや兄貴を通じて、ちょっと前までを、えぐってこれるから」
高「なるほど。なるほど。俺はないもん」
松「ないやろ?」
高「歴史がちょっと浅いもん」(112)

 兄貴とおねえは、松本に異文化を与えたのだという。ラジオでは、おねえはビーフジャーキーやポテトチップスなどの食べ物に関する異文化をもたらし、兄貴は特に松本の笑いに関わる部分である落語をもたらしている。

 ラジオでは兄貴の話はオカンの話と同じくらい多い一方で、おねえの話は極少ない。これは年が近く、同姓であった兄の方が、姉よりも接する機会が多かったためだろう。おねえに関しては、主に食のほかに、テレビドラマをおねえに合わせていたために自分が見ないようなドラマを見て面白いと感じた、という主旨の発言を松本はしている。またおねえは「屁ーこいてー」というギャグを幼稚園くらいの時に言ってウケていたり、「晩飯を他人にチラ見されるのが腹立つ」と言って覗いた子の眉間を箸で突くなど、独自の感性も持ち合わせていたようだ。
 おねえの話の中で、もっとも有名な話は、離婚したときに電子レンジを持って帰ってきた、という話だが、この話は姉をネタにしている部分もあるが、オチはオカンの「これでチンできるな」という一言であるところを見れば、松本の姉に対する気遣いや距離感が見えるように思う。

 兄貴は、松本に落語をもたらした一方で、バイクやギターなどから松本を遠ざけている。これは落語が小学校のときに兄貴と行ったのに対し、バイク・ギターはおそらく中学・高校の頃に兄がしていたことだったために、松本は敬遠したのだろう。兄とのエピソードは、やはり小学校時代のものがほとんどである。

○落語について

松「例えば、落語なんかでもそうでしょうね。うちの兄貴がやっぱり落語が好きだったりするから、」
高「なるほど。自分も、」
松「俺の世代で、落語ってそんなみんな知らんやろ?」
高「俺、自分からじゅげむを知ったもん」
松「そやろ?」
高「うん」
松「俺、落語めっちゃ知ってんねん」
高「「先年神泉苑の門前」、」
松「「門前の薬店、玄関番人間反面半身、金看板銀看板、金看板根本万金丹、銀看板根元反魂丹、瓢箪看板、灸点」やろ?」
高「それやそれや」
松「そうやねん」
高「これを、俺は小学校の時に、自分が言うてるのを聞いて、」
松「うん」
高「「ごっつきもちええやーん」」
松「ははは」
高「ラップやねん。もう」
松「そうやねん。そうやねん」
高「いわゆる。ガキの頃に「まっつん、ちょっと教えてーな。」言うたもん」
松「こういうのを、」
高「兄貴から得たんやな」
松「兄貴から。落語会とかつれていかれたりしてたからね」(112)


松「おっさんみたいなこと言うていい?みんなね、もっとね、落語とか聴いたほうがいいわ」
高「なるほど」
松「やっぱりね、落語にはね、そういうものがすごくきっちりと組み込まれてるねん」
高「なるほど」
松「その、骨組みというかね。あかんのもあるけどな。なんじゃそのオチ、っていうのもあるんやけど。企画構成が、」
高「ああ、しっかりできてるな」
松「しっかりできてるねん。そういうのを俺はもう子供のときから見て育ってきたから、もう、「ええー!」って。そこでついていかれへんようになるねん。腹立ってくるねん」
高「うんうん、なるほど」
松「だからね、今度俺あの、M−1あるやんか。あれの、結局審査員をね、やることになって。で、まあまあどんな子が出てくるかわからへんねんけど、そういうところをどうしても見てしまうねん」
高「原石とか発想じゃなくて?」
松「もちろん、いや、それが一番大きいねんけど、構成が出来てへん奴は、やっぱ俺は嫌い」
高「まあ馬鹿やから嫌ってことね」
松「馬鹿やから嫌」(012)

○バイク・ギター

高「兄貴はなんかギターやってたもんな」
松「自分は長男やから、だからけっこう、あの、何?物の流行を素直に受け入れれるねん」
高「そうか」
松「次男ってあかんねん。兄貴が全部先いくから。で、俺なんて兄貴と一緒のことしたないと思うから。んで兄貴はギターいってバイクいくやろ。んならもうそれの無いとこ無いとこ行くねん。気がついたらすごいインドアの人間なってんねん」(013)

 小学校の頃の、兄貴と人志との話にはやはり貧乏なエピソードがつきまとう。練乳を共同購入した話や、みたらし団子を作ろうとした話などがそれである。しかしもちろんそれ以外の話もあり、特に年賀状の話は松本のクリエイターの片鱗がみえる話である。

−兄貴と貯めてあったお金を出し合って、80円の練乳を購入し…−
松「それを水でごっつい溶かして、もうね、もうほとんどしゃばしゃばや。うっすら白い水みたいなん作って。それをその、丼鉢みたいなんに入れたらけっこうその、いっぱいあるわけや、ひたひたに。これ割り箸刺して、兄貴の分と俺の分と割り箸一本ずつぶぁぁ刺して、それを一日三回なめたら…(笑)」
高「(笑)最低やなぁ!ははは!すごいことしてたなぁ」
松「「これで人志、半年もつ」と。「うん!!」言うてたもんね。」(043)

松「「人志、ええ、えらいことを俺は学んできた」と」
高「うん」
松「「みたらし団子を作れる技術を、」」
高「おお(笑)」
松「「学んできたんやぞ、人志」と」
高「おおおお(笑)」

松「絶対、兄貴も覚えてると思うねん」
高「うん」
松「作ったんやけど、」
高「うん」
松「もうなけなしの金で、2人合わせて作ったんやけど、」
高「うん」
松「大失敗して、」
高「うわっ、最悪や」
松「2人で泣いたことがあんのよ。その…」
高「ははは」
松「ははは」
高「ひどいなー、ひどいなぁー」
松「兄貴と2人で、」
高「それはえらいショックやな」
松「「これはもう、殺生や。」と。
高「神も仏もあったもんやない」
松「神も仏も(笑)」
高「落ち込むわーそれ」(162)

松「俺、兄貴とチャリンコで、大晦日、あのー直接入れに行ってたけどね」
高「あーもう、時間無いから」
松「時間無いっていうか、「ハガキがおもんない」言うて、」
高「うん」
松「もっとでかーいの、もう新聞くらいの大きさの年賀状、がーっ「明けましておめでとう」みたいなんを」
高「なんか、自分、物凄い発想豊かみたいな感じにもっててるけど、ほんまか?それ」
松「いや、ほんまほんま」

家族

 松本から語られる家族の行動や言葉の全てから、現在の松本人志を作り上げた影響を見る、というのは強引すぎると思うが、やはりいくらかは松本に影響を与えた部分があっただろう。やはり特に、大人中心社会での、父親をはじめとした怖い大人の中で、唯一の味方であったはずのオカンが、弁当で「奇襲攻撃を仕掛けてくる」というような矛盾は、松本の笑いの根本に通じるものの一つではないかと思えるものがある。

松本人志の生い立ち④−伊東

 伊東氏は、松本人志の元相方、小学校時代の相方だった。
 松本自身が「伊東はね、たしかに俺の、学生時代を語るときに、やっぱり避けて通られへん…奴やなぁ」(002)と語るように、伊東氏は松本の人生に大きく関わっている一人だといえる。伊東氏に関して、そして伊東氏と浜田雅功とのケンカのエピソードに関しては、ラジオの第2回で詳細に述べられている。

松「だからね、多分伊東と…、伊東とそういう世界に入って、」
高「うん」
松「それこそ吉本入って、」
高「うん」
松「吉本って、やっぱり大阪の子供にはものすごい近いところにあるから、一番近い芸能界やから。そんなこともちょっと意識は、」
高「あったやろ?」
松「どっかでしてたんやろうけどなぁ。それがあんた、これ、」
高「何がどうなって、これ」
松「何がどうなって…、別に俺、伊東とケンカしたわけでも無いのに」
高「無いのになぁ」

人生の分岐点。一年で仲良くなった浜田と、小学校からずっと一緒だった伊東。

松「そんで浜田と知り合って、」
高「それ中一や、」
松「そうそう。そうやねん。んで俺は中学までずっと伊東とも友達で、ずっと一緒に居ったから。んで浜田とも友達になって。一時期三人でよう遊んでた」
高「これ難しいなぁ、このトライアングルはなぁ。いや、面白い三人やで。こらしゃべっとったらもうあきひんわ。面白いこと言いよるわ、違うパターンで。こいつがボケたら、こいつまた違うボケ探してきよるわ」
松「そうやねんけど。そうやねんけども。なんやろう。気持ち悪い話、ちょっとした三角関係、」
高「わかる。自分を取り合う、やろ」
松「に、あったわけよ。そんなこと俺、感覚的にはなんとなくわかってたんかもわからへんねんけど」
高「いや、わかってたと思うで。やっぱり」
松「うん。ほんで、あの、あるときに、伊東と浜田は、ものすっごい些細なことでけんかしたのよ。どんなことやったか…。途中までなんかはしゃいでただけやと思うねん。それがちょっとほんまに痛かったみたいなことなんかなぁ。わからへんねんけど。今考えたらもしかしたら浜田の計画的な犯行やったんかな、と思たりもするねんけど」
高「いやー、それもあいつしよるからな、そんなことも」
松・高「ははは」
松「ほいで、何かほんま掴み合いのケンカなって。ほいで、忘れもせんわ。あの尼崎の、キリンビールのものすごいでかいのがあんねや、駅前に。もうずーっと塀がもう…」
高「ずーっと。あったあった」
松「何百メーター?あれ」
高「二百メーターくらいある」
松「その塀のとこに頭ガンガンやったりとかしてたわけよ。やったりやられたりみたいな。俺、どっちも、なぁ、友達やし、「もう、やめえなやめえな」っていう感じで。どっちをどう止めるわけでもないねんけど。そんならまあ、なぁ。どっちも疲れたんか知らんけど、まあふわぁーっと離れて。んで浜田が、その、向こうに、左の方に。俺から向かって左の方に、」
高「左の方に。まあ家の方や、あいつの。商店街の方入っていって…」
松「そんで、伊東は右のほうに、」
高「アメリカン、また伊東の家の方や」
松「これ俺、あれはほんまに俺、人生の分岐点やったと思うで」
高「いや、そうやで。それでダウンタウンがどっちになって出来るかってことやったからな」
松「ほんなら、あの、伊東は何も言わへんかったけど、浜田が「まっつん行こうや」ていうたのよ、あいつが。「んんー?」と思いながら、浜田の方ついていったのよ」
高「行ったんや」
松「行ったんや」
高「伊東は一人で帰らなあかん。大失恋や」

 たかが一年で仲良くなった浜田と、小学校からずっと一緒だった伊東氏。結婚するものと思ってたのに裏切られたようなもの、と高須は言う。そのケンカをきっかけに、伊東氏はグループから(松本から)距離を置くようになる。

松「でもあのときの心境は、何故俺は浜田の方にいったのか。正直今だにわかれへんねやんか。なーんか、引っ張られるようなかんじで」
高「そうやな。あそこは運命…」
松「たしかにそっから伊藤とちょっと疎遠になった」
高「全然なってたよ。だって伊東は遊ぶ人間変わったもん」
松「変わったな」
高「全然変わったもん。クラスの奴と遊ぶようになったもん」(002)

もしも伊東と吉本に入ってたら…

 ケンカをきっかけに松本人志から疎遠になった伊東氏と、そこからダウンタウンというコンビを結成するにまで至った浜田雅功松本人志はこのケンカを分岐点だと捉えているものの、浜田と伊東氏を比べたときに、やはり浜田でなければここまでの成功は無かったのでは、とも考えている。

松「俺あのままもし伊東と、伊東の方行ってたら、吉本伊東と入ってたのかな。もし伊東と吉本入ってたら今どんな感じなんかなぁって、思うねんけど。でも最近すごく感じるのは、やっぱりお笑いって繊細な人間と図太い人間じゃないとあかんのよ」
高「SとMやからな、ある種」
松「そう考えたときに、伊東やったらここまで来てないかも知れへんな」(002)

 松本は「浜田の図太さに助けられてきたことが多かった」と語る。伊東氏も系統としては、浜田と同じく『森岡のおっさん』をいじめるタイプで、物怖じのしない、社交性のあるタイプだったようだが、吉川晃司を呼び捨てにし、クイズ特番で大物芸能人たちの前で台に飛び乗ることの出来る浜田ほどの飛びぬけた図太さは、伊東氏には無いものだった。
 ケンカの後に「まっつん、行こうや」と松本に声をかけたのが浜田で、伊東氏は声をかけなかったというのも、この図太さの差によってすでに決まっていた結果だったのかもしれない。

言語感覚と伊東氏との関係は?

 松本人志の特殊な言語感覚は、小・中学校の頃にはある程度完成していたように思える。「うそよねーん」というごっつのコントにも使われたフレーズは中学校の頃から使っていたとラジオで語っているし(26)、「鼻くそがそよいでる」という表現も昔から使っていたようだ(33)。また「ごって損」「若手」「靴下アメリカン」といった『放送室』でよく使われる言葉は、小学校の頃に松本の周囲で使われていた仲間内の言葉だったらしい。

 伊東氏は中学校で疎遠になるまで、「ホモ的な」関係かと教師に疑われるほど(125)、松本と一緒に行動していた。自分が「気持ちいい」と感じる音やテンポ、表現を言葉にして使う、松本のスタイルと言語感覚は、才能や天性だと言ってしまえばそれまでだが、伊東氏との間で作り上げられたものではないか、と推測ではあるが、考えられる部分がある。
 
 次のエピソードは、伊東氏が音で、小学校教師に村上トウコウというあだ名をつけた話である。

松「なーんか知らんけど、伊東が、何か意味の無い、音であだ名みたいなつけてまうやんか」
高「うんうん」
松「なんや知らんけど、「村上トウコウ、村上トウコウ」いうてたんよ。あいつがな」
高「いうてたいうてた」
松「そんな、どんな字かもようわからんねんけど」
高「「村上トウコウや」言うて」
松「ほんまは違うやろ?村上…なんか普通の名前やろ?」
高「そうそう」
松「「村上トウコウ来た。村上トウコウ来た」ってよう言うてたのよ」
高「ははは」
松「で、なんや校庭走ってたら「村上トウコウ走ってる。村上トウコウ走ってる」ってみんな言うて、あー笑っててんや」
高「言うてた言うてた」
松「「村上トウコウ息上がってる。村上トウコウ息上がってる」とか言って(笑)」(30)

 このひとつのエピソードで、伊東氏の感性を評価するのは強引だと思うが、少なくとも松本と感性を共有できる人間として伊東氏が居り、松本は互いのやりとりの中でそのセンスを磨いていったのは間違いないだろう。

松「俺、伊藤の家の、裏に、ごっつ怖い人住んでて。いうっつあん言うて」
高「あ、いうっつあんは、怖かったー」
松「いうっつあんごっつ怖かってんな」
高「うん」
松「で、伊藤の家の裏から、こうやって、伊東の(笑)」
高「うん。いうっつあんとこ見てて」
松「窓を5センチぐらい開けて、いうっつあん見ててん」
高「うん」
松「いうっつあんの、」
高「うん」
松「いうっつあんの妹とか、弟がおんねん。これが、きったないねん。なんや、おかゆみたいなん食うててん。「うわ、井内の弟、おかゆ食うてる」(笑)」
高「ははは。最悪や(笑)」
松「「全然栄養つけへん。」(笑)」
高「ははは」
松「「あんなもん、あんなもん、若手やのに、全然、」(笑)」
高「(笑)」
松「「若手があんなんで、絶対この夏乗り切られへん」言うて(笑)」
高「言うとったら、(笑)」
松「俺と伊東で笑いながら(笑)、ほんなら、いうっつあん帰ってきて。「うわ井内帰ってきた、井内帰ってきた。おかゆとった!おかゆ…」」
松・高「ははは(笑)」
松「「あんなもん、あんーなもん取り合いしてる。井内あほや、井内あほや。」言うてたら、」
高「うん(笑)」
松「目、ガーッ!合うて」
高「きた」
松「その、俺らが見てんのを」
高「うん」
松「で、ガーッ!隠れて」
高「うん」
松「「うわ、今、絶対目合うたわー」」
高「うわー、もう、井内さん怖いでー」


松「ほいで、あの、「ごっつ痛かった。」言うて。」
高「ははは」
松「「もー、あの俊足の足で蹴られて、ごって痛かった。俺だけごって損やん」言うて。いやいや(笑)」
高「お前はもうええやんけ(笑)」
松「だからと言うて、(笑)」
高「お前、」
松「お前、井内といえばこの辺じゃ有名な若手やぞ、と(笑)」
高「(笑)」
松「脂、のりきっとんねん(笑)」
高「その若手にお前、しばかれる言う、俺の身になってみ?と(笑)」(210)

松本人志の生い立ち③−貧乏。

松本人志にとって、貧乏とはなんなのか』について、ここでは明らかにしていきたい。

貧乏と笑い。

 松本人志はラジオで、「自分の子供が生まれたら」という話から二世芸人に話題が及んだ際に、幸せな家庭環境ではすごい発想の人間は生まれてこない、と語っている。

松「うーん、幸せな?あったかい家庭では、無理だね」
高「やっぱり、そこがあるかぁ」
松「あるね」
高「大きいなぁ」
松「屈折してるし、そら貧乏やったり、『貧乏』っていう意味での屈折やったり、そのなんか、ちょっと家庭環境がややこしかったりの屈折とか、まあ色んな屈折がありますが、なんか、やっぱりこう、平凡なあったかい家庭からは中々、そらある程度の人間はできてくるかもしれへんけども、そのー、」
高「なるほど」
松「すごい発想みたいな奴は、絶対生まれてけえへんからね」(119)

 これは松本人志自身が、自分の笑い・発想は『貧乏』ゆえの屈折からきている部分があると考えているためだろう。



 高須も、千原ジュニア松本人志の笑いを比較し、松本の背景に貧乏があることを指摘している。

高「ジュニアの切り口は、ちょっとやっぱ、おしゃれやねん」
松「うんうんうん」
高「松本人志の切り口は、やっぱり貧乏やねん」
松「うん」
高「だから、背景がちょっと微妙に違うねん。後ろの書割が。その、なんか面白いもんを作る時のバックボーンが違うから、」
松「うん」
高「ジュニアが作っていくのは、やっぱし、どっかナイーブなおしゃれな、バンド好きっぽい青年みたいなとこが入ってんねん。タイトルにしてもそうやし、設定が。松本のはやっぱり、貧乏…」
松「ジュニアはだって、貧乏じゃないもん」
高「そうやろ?松本人志は、貧乏が入ってくんねんな」
松「貧乏が入ってくんねん」
高「やっぱそこに、絶対入ってくる」
松「それが、いいのか悪いのか分かれへんねんけどね」
高「分かれへんけど」
松「うん」
高「で、貧乏の方が、まあなんとなく笑いは、ベタに作りやすいねん。設定としては」
松「うん」
高「オーソドックスな設定作れるやんか」
松「でもさぁ、貧乏はね、やっぱこう、哀愁を運んでくるでしょ?」
高「うん。それもあるね」
松「これがねぇ、やっぱりちょっと、俺は必要やと思うねんな」
高「あと、それといいのは、バブルの時に、」
松「うん」
高「その『貧乏』という本音を持ってきたから、時代的にもすごく良かったと思うねん」
松「うん」
高「見栄張って見栄張ってするところに…。で、松本人志の貧乏も見栄張るところがちょっとあるやんか」
松「うん。うん」
高「見栄張ろうとするところに、破綻をきたして、笑われるみたいなところがあるから」
松「だってもう、そういうところが、一番おもろいかとこやねん」
高「おもろいねん。みんな、見栄張るからおもろいわけやんか」
松「ええかっこしようと思うところが、もうおもろいねん」
高「そやねん。俺だからね、スターとかが、錦野さんがおもろいのは、「かっこええ」って言われたやろ?」
松「うん」
高「だから、人前でかっこよくあり続けなあかんから、体を無理してんねん」
松「うん。そこが、」
高「そこで、」
松「その差額分だけ面白いやろ?」
高「差額分だけ、失敗おこすねん。やっぱり」
松「うん」
高「で、それを取り繕うと思うから、」
松「そうやな」
高「おもろなんねんな」
松「そうやねんな」(166)

 ここでは貧乏ゆえに見栄を張ろうとすることについて述べられている。ラジオでは松本の貧乏エピソードはよく語られるが、この貧乏の話は、『貧乏ゆえに見栄を張ろう』とするエピソードにつながっていく。

貧乏な時代

 松本は、冗談混じりに「5,60万」(137)で育て上げられたと語っている。その真否はわからないが、松本はラジオ内で小学校時代の貧乏話をよくおこなっている。

…「どうしても手に入れたいものを、諦めるしかなかったことはありますか?」という質問ハガキから…

高「俺、ようさんあったけどなー、昔」
松「子供の時なんかもう、そんなんいっぱいあったよ」
高「なあ」
松「もう、あきらめワルツやんか」
高「ははは。そんなんあったなぁ」
松「あきらめ、あきらめ」
高「いやー、俺ももうものすごい、あきらめ」
松「っていうかもう、口に出すことすら、もう罪や、みたいな」
高「ご法度とされてたからな」
松「ははは。されてた、されてた」
高「当時はな」
松「いやいや、ほんとそうですよ」(193)

松「結局おかんの金をとったら、すぐに俺の方にまわってくるわけやから。直結するわけやから」
高「あ、トン!トン!、かいな。もう」
松「ははは(笑)」
高「ははは。おかんと、トン!トン!」
松「トトト、トンじゃないで。トン!トン!やで、もう。すぐに、もう背後に、」
高「うーわ」
松「背後にそこには、もー、『貧』。『貧』言うのがもう」(143)

 「もう家が貧乏なの分かってたから、めったにおねだりなんかせえへん人志やねん」(42)というように、子供のころの松本はすでに自身の家の貧乏をきちんと自覚し、我慢をしていたようだ。

貧乏ゆえの見栄。

 松本の語る貧乏だったというこれらの話は、貧乏をごまかそうとする見栄の話へとつながっていく。

高「貧乏って一番人に恥ずかしい部分やんか」
松「うん」
高「あの、見られたないというか」
松「あの、少なくとも特に子供のころはね」
高「うん。家が汚いとか、弁当があかんとか、
松「品目が少ない」
高「品目が少ないとか、なんやもう、ちょっと、センスがない的なことがあったりとか、服もなんか汚いみたいなのが、」
松「うんうん」
高「やっぱりね、子供って、敏感に感じとってるのよね」
松「うんうんうん」
高「学校ってひとつのクラスにどーんて入れられるから、どうみたってだんだんわかってくるねん。「うちの服、あれ?」」(119)

松「弁当って嫌やなー」
高「嫌やった。あれほら、家柄から、なんちゅうの?家族構成。なんか色んなもの見えるやろ?」
松「オカンのデリカシー」
高「デリカシー(笑)。そうそう」
松「うちのオカンもデリカシー無かった…。そういう意味ではねえ、うちのオカンも、俺はもう嫌やったなー」

松「ご飯にね、」
高「あ!あかん」
松「鮭をね、」
高「あかんあかんあかんあかん」
松「グイー!やんねん」
高「はははは(笑)」
松「それが嫌やねん。デリカシー無いねん」(34)

松「俺はもう大変やったのよ、だから。うちのおかんが緑のおばさん行ってからは、それはもう、もう色々、靴下…」
高「弁当は直さなあかん、」
松「弁当は直さなあかんわ、(笑)」
高「靴下は縫わなあかんわ。これは、これはねー、松ちゃん。あーそれは、俺はね、あー」、
松「よう覚えてたな。俺の弁当直す話(笑)」
高「いや、よう覚えてるどころか、そんなもん分かってるよ、そんなもん。俺、もー「あ、それは哀しいな」、んで俺も同じような経験はあるから。ただ、俺直すまではいけへんかったけども」
松「あったなぁー」
高「あったなぁ」
松「あった」
高「そういう思いしてなぁ」
松「うん。そうやで」
高「見栄え見栄えやったな。あの頃」
松「見栄え見栄えやったでー。ほんまに。
高「「貧乏に見られたらいかん、いかん。」言うとったなぁ」
松「色々もう俺、大変やった。子供の時。ほんま大変やった」
高「大変やった(笑)」
松「パンツ、靴下、弁当。犬は逃げるわ、もー、ほんま…」
高「ははは(笑)」
松「(笑)」(143)

 これらの見栄えの話は、貧乏に起因してそれをごまかそうとする話である。しかしそれだけでなく、オカンのデリカシーやセンスの不足などからくる、必ずしも貧乏の関係ないことも「子供時代の嫌だったこと」として、貧乏と一緒にして語っている。
 

松本人志にとって、貧乏とはなんなのか。

 松本は「乗り物酔いする子はクリエイティブな仕事に向いている」という持論を語ったことがある(42)。その理由は「酔うのは、想像力があるから」というものだった。しかしここでは、松本人志は自身の屈折・挫折の経験が、自身の笑いを育んだ土壌となっている、と考えている点に注目してみたい。乗り物酔いの酷かった自身が、クリエイティブな仕事に向いていたから、「乗り物酔いする子はクリエイティブな仕事に向いている」と考えたのではないだろうか。 
 すなわち松本は、貧乏に限らず、挫折・屈折の経験が笑いやクリエイティブな仕事には必要だと考えている。そして彼にとって、もっとも挫折・屈折の経験を与えたのは、貧乏だった。
 つまり、松本人志が自身の笑いの土壌と考え、小学校時代に戻りたくない理由としても挙げている『貧乏』とは、『松本人志に、もっとも多くの挫折・屈折をあたえたもの』だったといえるだろう。