松本人志監督「大日本人」の公開までの経緯

松本は以前ラジオ内で、「芸人が越えるべき山」について語っている。芸人にとってはまず売れるということが最初の「山」であるし、それを世間に定着させるためにさらに「山」を越えていかなければならない。
 松本が今までに越えてきた「山」というものを推測すると、「芸人として天下を取った」「『ごっつ』という伝説の番組を作った」「芸人自体の地位を引き上げ、認めさせた」「『松本人志』という人間自身の価値を認めさせた」など、本人が思う「越えてきた山」というものとは違うのかもしれないが、いくつもの山を越えてきたということは誰の目にも明らかだ。

松「ちなみに俺は、あのー、あと二山とかんがえてますけどね」
高「松本人志も」
松「うん」
高「二山かいな!」
松「うん」
高「えー!!」
松「あのー、いや、だから、俺の場合は、もう一個、まあまあの山を登りたいなあ。そいで、まあそこで終わってもええし、もう一個もっとでかい山を目指したいなあっていう感じかなあ」(28)


 AERA 5/7日号の中のインタビューで、松本人志は映画が一つの分岐点になる可能性があるということを語っている。それは第28回のラジオで語った「まあまあの山」というものが今回の映画になるかも知れず、またその映画が「もっとでかい山」(=あるいは世界進出?)に繋がるかもしれない、ということだろう。
ここではラジオ「放送室」から映画「大日本人」制作の経緯を拾い上げていきたいと思う。できれば公開前までに。

映画までの経緯。

大日本人」は構想5年の映画ということだが、これ以前から高須から映画を撮れと言われていたものの、松本自身の口から明確な映画制作の発言がなされたのは2002年5月23日、第34回の放送においてである。

松「いやいや、ほんでな、俺はもう、俺は有言実行やから」
高「うん」
松「言うで」
高「なんでも言うて」
松「もう、俺はもう、決めた」
高「何を決めましたか?」
松「俺はもう、映画を撮る」
高「おっ!いよいよ」
松「決めました」
高「遅いぐらいやで」
松「もう、しょーーもないねん!!!」
高「…いや、何がよ。何がしょうもないねん(笑)」
松「ははは(笑)」
高「それまず、ちゃんと言うてくれんと。「しょうもないねん」て(笑)」
松「もう、映画がしょうもないねん」
高「他見とってもな」
松「他見てっても」
高「なるほど」
松「アホみたいな、アホばっかり集まって」

  この時点で構想はキーワードは「あるといえばある」と言いつつも「ぜんーぜん無いのよ」という殆どなにも考えていない状態だったようだ。この映画制作宣言のきっかけは以下のようなやりとりからだったという。

松「こないだね、楽屋にあの、なんやあのー、岡本がなんとなく、コンコンって来て、」
高「ほう」
松「で、まあ何っちゅう話でもないけど、わー喋ってたら、」
高「うん」
松「段々腹立ってきてぇ、」
高「おう」
松「別に岡本に腹経ったわけでもないんやけど、なんか急にな、もうーなんやろ?なんかもう、「イッラァーッ」って来て、」
高「うん」
松「もうなんか、ごっつ映画、撮った、撮りたなってきたんや」
高「うん。えーやんか。それは」

松「アメリカ人に受け入れられるような映画を撮ろうっていうことはね、結局ねテレビでやってる作業とあんまり変わらへんような気がすんのよね」


高「いつごろの予定?」
松「…え?もう会議が、始まるか」
高「「始まるか」…?ははは(笑)」
松「ははは、もう始まるんですよ」
高「おお、そらそやな。さすがにもう、やっていかんとな」
松「もう、やっていく。絶対に」

松「もうやるで」
高「いよいよ行きますか、映画に」
(34:2002年05月23日)

この話が出た頃は、現在ほど邦画が活気付いている状態ではなく、現在ほど邦画が元気だったなら松本の映画制作の決意も起こらなかったかもしれない。

経過

しかし、しばらくは会議は行っていたようだが、制作は遅々として進んでいない様子だった。ラジオを聴いていた限りでは映画の話は立ち消えになったのだろうと思ったほどだった。

高「今年の目標なんですかいな?」
松「えー今年やろ?今年なー、映画がさあ、ちょっと滞っとんのや」
高「なんでですか?それは」
松「いや分からん。なんやスタッフぐりでなんやかんや、言うて。それがいければなあ、もうそうしたいんやけど」
高「いや、それが決まればなあ」
松「もう、パンパンパンパーンとしときたいねんけどな」
高「うん。井筒さんがね、「ゲロッパ」やっておりますけどね」
松「はあはあはあ。大丈夫なんかな」
高「大丈夫かなー。ちょっと不安やなー」
松「なあ?」
高「ちょっとあんだけ言うてるから、でも、まあまあ、どうなやろなあ」
松「期待されるとなー」
高「そやねん。そうやねん。そういう目線で見られるから。

松「でも、それが無理やったら、またVISUALBUM再開するっていう手もあんねんけどな」
高「まあどっちでもええんやけどね。まあ物作りは一緒やからね」
松「まあ、なんかはせなかあんわな」
高「なんかはせなあかんね」
松「なんかはせなあかんけど、もうテレビではあんまやりたないから、なんかないかなぁ」
高「なんかな」

松「俺なんかもCMやりたいな、ってちょっと思うけど、絶対ケンカするやろな」
(70:2003年01月30日)

高「あのー、あれですね、「座頭市」が」
松「あーはいはいはいはい」
高「すごいねー」
松「うん、でもねえ、俺ねえ、たけしさんこうなってくるとね、いや、俺はねえ、全然違うんやけどー、俺がちょっとやりにくなれへん?」
高「やりにくなんなー」
松「なんか、あのー、」
高「こんなに、なんか「世界のキタノ」とか、なんかねえ」
松「言われるとねえー」
高「映画とると、凄い期待値が上がるよねえ」
松「いや、期待値上がる言うか、うーん、別にー、ほら、面白い映画を、俺は撮ろうとしてるから」
高「うんうん」
松「多分、外人ーー、」
高「には、分かれへんよなあ。あんまりなあ」
松「分かれへんと思うから、なんかねえー」

松「まあねえ、でも観たいよね。俺もちょっと観たいね」
高「俺も観たいのよねー」
松「うーん。まあ、ちょっとねえ、ちょっと、俺なんかはやりにくいんですけど」
高「やりにくい。でもまあまあ、ね、頑張ってやらないと」
松「それ、映画以外になんかないのかなあ?」
高「なんかねー」(103:2003年09月18日)

 松本人志は常に新しいことに取り組んできている。そして同じようなもの・企画を繰り返すことはあまりない。映画の企画が立ち上がって以降も、芸人の持つ絶対に滑らない話を話すだけの番組「人志松本のすべらない話」、第一線の中堅芸人たちがネタを披露した「ドリームマッチ」とそこから派生した「リンカーン」、ネット課金を利用したコント「Zassa」、他にも「ワールドダウンタウン」、「おっさん人形」など、常に何かしらの新しい試みをしている。
上記の「映画以外になんかないのかなあ?」という発言からも見えるように、松本にとっては「新しい試み」や「異なった環境」が重要なのであって、映画以外に新しい「器」があれば映画制作でなくてもよかったのだろう。
 こうも考えられる。松本人志はラジオで「もう自分が面白いことはわかっている」と語ったことがある。ガキのトークもラジオもやれば面白いことはもう松本自身も視聴者もわかりきっている。そういう意味では『松本人志』はもう完成しているのであり(あるいは小学生の頃からもう完成していたのであり)、松本人志を変化させるには、松本人志を表現する『器』を変えていく以外に方法はないのではないのだろうか。『器』というのは、松本人志を表現していく媒体・メディアや環境のことで、TV、ラジオ、映画、活字、インターネット、あるいはコント、トーク、企画、もしくは一人/多数、日本/世界・・・。もちろん松本自身に常に新しいことを試みたいという欲求があるのだろうが、松本人志は完成しているがゆえに常に新しい試みをしなければ「松本人志」を維持し得ないのかもしれない。それは能力の衰えというよりも、相対的な世間の評価が、常に100点を出す松本に慣れてしまうことで、100点を出しているにも関わらず「同じことしかしていない」という評価にすりかわってしまう部分が大きいのだろうが。