松本人志の生い立ち②−小学校

松本人志は1963年9月8日生まれ。潮幼稚園に通い、潮小学校へ入学している。

この小学校の期間だが、書くべきことは非常に多いと思われる。
浜田雅功と同じクラスになるのは中学二年生からだが、高須光聖やはじめの相方である伊東らとの出会いといった友人関係は小学校のころに形作られている。また家族に関するエピソードはもちろん、バロムワンや天才バカボン、13番のおっさんや落語といったアニメやおもちゃなどの松本人志に大きく影響を与えた要素も小学校のころのものであることが多い。これらに関しては、いずれ別項でとりあげることにする。

ここでは彼らのいた潮小学校がどのような学校だったのかについて書いていきたいと思う。

潮小学校の気風、笑いのレベル

松「そのー、漫才ってさ、俺らの世界では、その尼崎というか、あの風土。あの流れで行くと、みんなやってると俺らなんかは思ってた」
高「思ってた」
松「やんかあ。あのー、なんていうのかなあ。それは東京でも群馬でも沖縄でも、みんな小学生はコンビ組んで…(笑)」
高「あのお楽しみ会とか、誰かがこう、なんか食うパーティみたいな、まあ茶話会みたいなのがあると」
松「やってると思ってたやんか」
高「思てたなあ」
松「思ってたのよ。あのー、それが俺らの世界では当たり前やったから」(002)

空気清浄機が各クラスに設置されていることが当たり前だと思っていたという事を前に書いたが、松本人志の通った潮小学校では、あるいは尼崎の小学生にとっては、何かイベントがあるときに、漫才を行うということも当たり前のように行われていたことだった。

さらに笑いのレベルについても、

松「とにかくね、小学校の笑いのレベルが尋常じゃないぐらい高かったと思うねん」
高「高かった」
松「うん」
高「だってな、潮ていうのは三クラスしか無かってん。九十人くらいや。その九十人の中に、結構笑いの高いやつらがいてる頻度は高かったで」
松「うん。頻度高いし、あと笑いって、ひしめき合って筋肉鍛えあっていくものやから、どんどん上がっていくねん。」
高「上がっていくねんな」
松「で俺、伊東と、そのー、何?塾に行ったのよ。潮小学校から来てるの俺と伊東だけやねんな。で、あとは他の小学校から集まってる」
高「あつまってる」
松「んやけど、他の小学校のやつらが、ものっすご盛り上がって喋ってるのを聞いてて、「なんておもんないんやろうこいつら」」
高「と思うわな」
松「レベル低いなー。俺らが小学校四年五年くらいのときに、もう一・二年くらいのころで楽しんでた様なことを、本当に楽しんで喋ってる。「ああレベルこんな違うんや」てあん時初めて思たな」(002)

と、他の小学校と比較しても、潮小学校は笑いのレベルの高い小学校だったのだという。


伊勢での臨海学校

この臨海学校でのエピソードからは、当時の潮小学校のお笑いに対する空気が見えてくるように思う。突発的に漫才を行おうとする松本人志らの呼びかけに対しての、協力的な教師や生徒の態度をみると、潮小学校は笑いを行うことに関しては恵まれた環境だったといえるだろう。

松「伊勢や」
高「伊勢伊勢伊勢」
松「伊東はあのー、ほら、俺引っ張られなやらへん人間やんか。だいたいは。伊東はものすごアグレッシブな男なんよ」
高「やりたくてしょうががない」
松「そんでね。臨海学校がある、臨海学校があるだけやで。漫才やろうって言い出して。いやいやいや、クリスマス会とかそういうのやったらわかるけど、修学旅行で何で漫才せなあかんのかなあと思いながらも、もう伊藤はやる気満々やねん」
高「こういうときに行っとかなあかんと」
松「そうやねん。ほんでなんやもう、2ヶ月くらい前から稽古にまた入って」
高「入って」
松「その前からもうちょこちょこやってたからねえ」
高「自分らそんなにネタに時間かけてたんや」
松「あはは(笑)」

松「ただあれ、子供の浅はかさが逆によかったんかしらんねんけど、誰もそんなことやって良いとも言われてないからな」
高「言われて無い」
松「そんで、何やろう。みんな色々かばんにつめ、荷物を持っていくんやけど、俺らは漫才のその衣装みたいなもんまで入れとるわけよ」
高「うん(笑)」
松「けど今考えたら、先生が…(笑)、先生が「いや、あかんぞ」って言われたら終りやんか」
高「そうやな。でも、俺いまでも覚えてるわ。もうその「まっつんと伊藤が漫才やるで」言うて。「えっ、漫才やるの?」「なんや?」」
松「だから、その時も「漫才やるぞやるぞ」言うて、俺らが、そのみんな自由時間やからみんなうわーってどっか好き勝手行ってるとこを、俺と伊藤がわーって行って「漫才やるぞ漫才やるぞ」って集めるわけよ」
高「あつめてたなあ」
松「ほんなら、あれはやっぱり、その、なんやろう。あの土地柄なのかなんなのか」
高「みんな見に来とったな」
松「みんな見に来るし、先生も「ああ、そうか」いうて急遽やで。なんかその」
高「あったあった。舞台みたいなとこやろう?」
松「舞台みたいなとこを用意してくれて、マイクもちゃんとセッティングしてくれて。あれはすごいなぁ」
高「あれはすごいな。だから笑いに関しては、こうまあ、いい待遇やったんかもしれん。あの学校は」
松「あのー、やっぱ関西地方で笑いをやろう、漫才をしようとしてるやつを邪魔してはいけない、」
高「いけないな。ほんまやわ(笑)」
松「というムードがあった」
高「あったあった」


高「ほいでな。どんな漫才やるのかなあ、って子供ながらちょっと思ってるわけよ。で、そんときに、歯医者や。歯医者のネタや。この尼崎のちっちゃな潮江っていう町に、たいがい二件くらいしかないねん。熊谷と糸田川っていう」
松「んふふ(笑)」
高「この二件の、歯医者の」
松「実在する歯医者や」
高「実在する歯医者が、たまたま道でばったり会うみたいな、漫才をやりはじめたわけよ」
松「(笑)。うん」
高「ちょっと俺おちこんだもん。「うわぁ、おもろい」。なにがおもろいかわからへんねんなぁ」
松「…あのねえ、あのー、この世界入って、いろんなテクニック覚えたり、いろんなまあその三段オチやとか天丼やとか、そんなん覚えるやんか。覚えるねんけど、もう小学校のときからそれは、そんな天丼とか三段オチ、言葉は知らんけどもうノウハウは感覚として」
高「あったもんな」
松「あんねん。だからこれを言う前に一個…わかりにくいからこれもう一個足しといて、でこれちょっと弱めやから二個目にもっていって、んで一番これまず間違いないのを三つ目にいこう、とか。知らんうちに三段オチとかみたいなことをやってるわけよ。んで忘れたころにこれもう一回言うたれ、みたいな、天丼みたいなこととか。小学校の五年生でそれが頭ん中でできてるていうことは…」(002)


高須は「なにがおもろいのかわからへんねんなぁ」と述べるものの、この歯医者のネタの設定を聞くだけでも、この漫才が面白かっただろうということが伝わってくる。そしてこの漫才を作った当時には、すでに笑いの作り方のノウハウは身についていたという。


戻りたくない小学校時代。

面白い人間が居て、笑いを受け入れるような環境もあった小学校時代だが、松本人志は小学校時代に戻りたいとは思っていない。高須光聖が、

「(小学校三年生は)おもろかったでー。和田修一いう奴が、番長面しとって。その片方の一派には佐藤元昭っていうこの番長の副番みたいな人間がおって、これが勢力を伸ばしてきて、お互いの両勢力が友達になったり離れたり、…あるなかで、松本人志ていうなんかおもしろい奴がおる。浜田いう奴もおる。なんやちょっと話もおもろいし、お楽しみ会でもおもしろい出し物出してきよる、みたいな。ええ感じの一日やったなあ、俺は(笑)」(026)

と言う一方で、

松「でもなー、俺は大して面白くなかったな。やっぱり何かもう、何か貧乏やったもん」
高「うん。まあな」
松「貧乏くさかったわ」
高「何から何まで(笑)」
松「何から何まで貧乏くさかった」

松「中学の時は、ちょっとおもろかった。

高「中学、いつぐらいに戻りたい?」
松「中二やな」
高「中二はおもろかったなぁー」
松「あれは、おもろかった」(026)

高「自分、小学校戻りたないもんな」
松「うん」
高「ものっすごい俺、小学校でもええわ」
松「なんで?ごっつ嫌いやった」
高「ごっつ好きやった、俺」
松「アホばっかりやから、嫌やった」
高「学校?」
松「うん」
高「そんなアホばっかおった?」
松「アホばっかおるやんか、もう。嫌やねん、もう」

高「そんなに小は嫌やった?自分?」
松「あのねえ、俺はねえ。ほんとに学校が嫌いで」
高「うん」
松「あのー、ゲゲゲの鬼太郎の歌を聞いて、ほんまに妖怪になりたいと思った」
高「それは俺も思ったわ」

松・高「おばけは学校もー 試験もなんにもない」
松「うわー、めっちゃええやーん。ごってええやーん」
高「ごってええやーん思たよ。毎日遊べるやーん」
松「俺も妖怪になりたいわぁー」(032)


松本人志にとって、小学校時代はあまりいいものではなかったようだ。ラジオではその理由に、貧乏、周りがアホだった、などを挙げている。おそらく松本がおもしろかったという中学二年生のときには、周りに伊東、高須、浜田、和田、藤井などの、自分の笑いを理解できる、アホではない面白い人間が集まったために楽しかったと述べたのだろう。では小学校時代に戻りたくない理由としてあげたもう一方の、『貧乏』は彼にとってどうだったのか。